※先日ようやく行ってきたJUNMATUMOTO EXHIBITION PERSECTIVE展について、ネタバレありの感想を述べたいと思います。ネタバレ嫌だよ〜というかはプラウザバックでお願いします※
受付で貰える小冊子と待機スペース
受付すると冊子をもらえる。この冊子がとても良かった。
私が事前に情報を入れておきたいタイプ(事前情報と照合し、整理しながら体験していきたい)というものあるのかな?
6つのコラボレーションごとに、こと細やかに記されていて良き。
そして待機する空間の壁には松本潤直筆のメッセージがある。
と、同時に松本潤の声でアナウンス。(壁に書かれていることと同様の内容)
未来への言葉展を遊園地とするなら、こちらのPERSECTIVE展は美術館に近いのではないかと感じた。
言葉展では、待機列の空間にも写真やイラストで壁に装飾がされており、待っている間も楽しめるような配慮がされていた。しかも写真が撮れるというおまけ付き。入口付近まで撮影可能だった。
一方PERSECTIVE展では、待機列の空間は至ってシンプル。松本潤の手書きのメッセージがあるばかりで、写真やイラストなどもない。
メッセージに関しても、PERSECTIVE展に関する注意事項が多く、あくまで展覧会への序章という感じだ。
コラボレーション1
操上和美✕松本潤
扉をくぐれば、そこにはもう別世界が広がっている。何人かでグループとなり入場するが、前の人はおろか、自分の手元ですら見えないほどの暗闇なのだ。
壁を触りながら、恐る恐る足を踏み出す。壁を離したら最後、自分がどこにいるのかも分からなくなってしまう。この先に何が待っているのか?少しの恐怖と大きな期待が入り交じり、胸が高鳴る。
こうして暗闇の中にいると、いかに普段「視覚」に頼って生きているかがよく分かる。視覚を一時的に失った今、壁のザラつきや誰かの足音がいつもより間近に感じられた。五感が、研ぎ澄まされていくようだ。
壁が途絶えたら折り返し、再び壁だけを頼りに歩き出す。すると、今まで見えなかった淡い光に気が付いた。
この先に何かある。
まるで夏の夜の虫のように、光に吸い寄せられていく。
二重に張られた、黒いストリングカーテンの向こう側。透かして光り輝くのは、壮年の徳川家康の写真だ。
幾重にも絵の具を塗り重ねて描いた油絵のように重厚で、真っ黒な部屋全体が圧倒されてしまうほどの存在感がある。
この空間にたった1枚の写真。なんとも贅沢であるが、贅沢に思わせない。この写真にはそれだけの価値があると感じるからだ。
外の世界からこの写真にたどり着くまでに、一度暗闇を通ることで、感覚がリセットされ、まっさらな心にこの写真が飛び込んできた。暗闇は「禊」でもあったのか。
しょっぱなからのとんでもない仕掛けに、更に期待が高まる。
コラボレーション2
太田好治✕松本潤
こちらの部屋も、ある程度の人数でまとまってから入る。部屋の前で待機している間に、冊子をパラパラ。5分ほど待って、ようやく扉が開かれた。
部屋に入って驚いた。
一面の写真、写真、写真。
上下左右の壁が鏡張りになっているので、鏡に反射した写真達が無限に広がる。
写真はオフショットのようなものが多いので、大河ドラマの撮影した思い出の中を漂っているような感覚になった。
前列は椅子に座り、後列は立った状態でふたつのスクリーンに映し出される写真を観る。
人数を区切っていたのはこのためかと納得。ふたつのスクリーンには、それぞれ異なる写真が映る。気を抜けば見逃してしまいそうだが、ゆっくりと次の写真へ移っていくので、慌てなくても大丈夫。
私はテレビの前で大河ドラマを観ていた一視聴者に過ぎないが、なぜだか一緒にドラマを作り上げていた気分になった。
写真の多さに圧倒されるものの、穏やかで優しい展示だった。
コラボレーション3
岡田准一✕松本潤
たくさんの写真が飾られているのと同時に、二人の対談の動画が流れている。一方の壁は岡田准一のみの映像と音声、その向かい側の壁は松本潤のみの映像と音声。対談動画としては珍しい展示方法だが、織田信長と徳川家康、同じ時代を駆け抜けた相対する二人にはふさわしいような気がする。
うろ覚えだが、対談内容は以下の通り。
O:(松本潤の印象は)不器用だよね。
M:そうです。不器用で尖っていた。
O:丸くなった?
M:30代になって丸くなった。自分がゴールを決めるのではなく、パスをするのも楽しいと思えるようになった。特にうちはグループ活動をしていてゴールを決めるメンバーがたくさんいたから。
今回、大河ドラマに出ることになったのも、岡田くんの存在が大きい。
O:俺は自分の大河は覚えていない、覚えていないというか、過ぎ去っていったこと(という認識だから)。
M:そうですよね。
O:今回共演して、不器用、尖っているってだけじゃなくて「しなやか」だなって。
M:ありがとうございます。飲んでいるときに聞きたい。
O:泣いちゃうよ(笑)。
M:(笑)。
今回コラボしたアーティストの中で、唯一同じ演者であった岡田准一はやはり視点が少し異なると感じた。
徳川家康を通して、松本潤を優しく見守っているようなまなざしが感じられたのだ。それは大河のオファーを受けるか苦悩する姿や、それ以前の嵐としての松本潤もよく知っているからであろう。二人の対談は終始和やかで、徳川家康と織田信長が敵対していると同時に、心を通わせていたことを思い出し、胸に迫るものがあった。
コラボレーション4
井田幸昌✕松本潤
半円状のシンプルな空間で、赤と青、相対する二つの絵画を見ることができる。
どちらも徳川家康に扮した松本潤が描かれているが、その様相はまるで異なる。髪型から同じ年代の頃の家康であることは間違いない。それにも関わらず、別人のような姿をしているのだ。
しかし、大河ドラマを観ていた人なら「どちらも、徳川家康だ」と答えるだろう。
徳川家康の中にある二面性を見事に表現していると感じた。
コラボレーション5
小波次郎✕松本潤
日光東照宮の境内で撮られた写真が壁や柱に飾られている。
松本潤はシンプルなシャツとジャケットという出で立ち。豪華絢爛な社殿との対比で、そのシンプルさが却って松本潤を引き立たせる。
写真だけではなく、壁や床や柱全体に日光東照宮がレイアウトされ、その空間ごと包んでいるかのようだった。ここが六本木ではなく、日光東照宮であるかのような錯覚さえ覚える。
展示は写真だけではなく、撮影の様子を動画でも観ることができる。
セミの声。人気のない境内。
冬の東京。人で溢れるこの地にいると、その様子が俗世離れしているように見える。
徳川家康が祀られているから、という事実だけだけではなく、人々が崇拝してきた歴史や思いが、日光東照宮を特別な場にしているのだろう。
コラボレーション6
田根剛✕松本潤
暗闇の中、幾枚もの紙切れが天井からつるされていた。
全ての紙には言葉が綴れてており、時折淡い光に照らされては、また暗闇の中へと吸い込まれていく。来場者たちはその中を当てもなくさまよい歩くのだ。
「やりたくないことをして、
したくない決断をして、
大切な人を亡くした。
それでも、安寧の為すべての闇は僕が引き受けよう。
東京の街を見ると、江戸の様子が伺える。
街は人の想いや思想だ。
僕って誰だ?
あなたはどう生きる?」(ニュアンス)
それとも他の誰かの言葉なのか?誰の言葉でもないのか?
まるで東京という街を築いてきた今は亡き人々や、その街に暮らしている数多の人々の声が入り混じっているかのような言葉だ。
東京は間違いなく江戸時代にその基礎が築かれている。
道の名前の由来や川の起源をたどれば、その多くは江戸時代に行きつくだろう。
そう、基礎は確かに徳川家康が築いた。
しかしその後、街を発展させてきたのは、名前のない市井の人々である。そしてその街がこれからどうなるのかは、今を生きる私たちに掛かっている。
最後には灯っては消えていく淡い光は、やがて朝日のように昇った強い赤い光に飲み込まれてしまう。
まるで明日への黎明のような光の元を抜ければ、出口へとたどり着いた。
「あなたの視点で世界が変わる」
最後に…
学生時代、私は歴史が嫌いだった。
過去のことを学んでも仕方がないと思っていたのだ。
だから大河ドラマだって、ちゃんと観たことはなかった。
「どうする家康」も、松本潤が主演だからというよこしまな理由で見始めたのだ。
しかし、見始めるとすぐにその面白さに飲み込まれていった。結末だってわかっているはずなのに、展開から目を離せなくなった。
そして歴史上に出てくる建築物や武器が現存している奇蹟に胸を躍らせ、実際に愛知や静岡に足を運んだ。
事実は一つでも解釈次第で、歴史は変わる。
それは何も歴史に限った話ではない。
描き方一つで、捉え方一つで、過去も現在も未来も変わる。
今回の展覧会では、徳川家康を通し様々な形で松本潤を見たが、一つの物語を見たような、そんな経験になった。