夢の道中

嵐さんのこと。あれこれ。

ARASHI Anniversary Tour 5x20 FILM "Record of Memories"から考えるアイドルとファン

暗闇から現れる5人。

東京ドームに響き渡る、割れんばかりの大歓声。

2020年、私が喉から手が出るほど欲しかった景色が、そこにはあった。いや私だけではない。きっと嵐の5人もファンの皆も心の底から、望んでいたものだろう。

 

映画が始まると同時に、スクリーンの向こう側、もう決して戻ることはできない時と場所に、まるでタイムスリップしたような錯覚に陥った。

それはコンサートDVDでは決して体験できない感覚だった。5x20Finalで行われたライビュとも違う。本当にコンサートを追体験しているような気分になったのだ。

 

それはドルビーという特別な映画館だったからかもしれない。

映像、音質、どれも高質のものだ。

画質の粗がないので、目で見ている背景と同等の映像が目の前に広がる。音楽の上に歌声が乗って聞こえる。上着を放り投げる音まで聞こえるのだ。

 

しかし決して、それだけでは無い。

この映画には「アイドルとファンの交流」が、とても丁寧に記録されているからだ。

 

2020年に体験した、コロナ禍による無観客オンラインライブ。

歓声は聞こえず、観客席にはペンライトだけが静かに鎮座している。

それでも彼らはいつも通り、いやいつも以上に、画面の向こう側に届けようと心を込めてステージに立ってくれた。しかし、足りないのだ。この時、私は初めて気がついた。彼らをアイドルたらしめるには、ファンの存在がどうしても必要なのだ。

そもそも「アイドル」の元の意味は「偶像」だ。信仰や崇拝の対象になるのを指す。つまり偶像(アイドル)とは、信仰あるいは崇拝する人物がいなければ成り立たないのである。

一方、広く芸能人を指す「タレント」という言葉は元々「才能」という意味がある。こちらは周りが認めようが、否定しようがそれ単体で独立したものである。

この違いが、アイドルをアイドルたらしめる大きな理由であると思う。

よってアイドルが1番アイドルであるのは、ステージの上に他ならないのだ。そしてそこには、観客、つまりファンの存在が必要不可欠だ。

この映画には普段あまり取り上げられることの無い、ファンの姿がきっちりと収められている。

嵐に手を振り返す人、笑顔でペンラを振る人、終盤で涙を浮かべる人…。

皆それぞれの人生があって、ここにいる。けれどここにいる間は皆、ひとつのものを共有しているのだ。そう思うと、なんだか不思議な気持ちだ。

そして映画を観ている私達もまた、背景は皆異なるが、今はひとつのものを共有している。それはきっと、映画の中のファンのみんなと同じものだ。だから、まるでコンサートをこの目で見ているような感覚になるのだ。

このように、コンサートは演者だけでは成立しない。対面だろうと非対面であろうと、見る人が必要なのだ。どちらも対等で、必要不可欠である。そう、コンサートを成功させる鍵は、私たちの手にも握られているのだ。

昨今のコロナ禍、そしてこの映画によって、改めて「アイドルとは何か?」「ファンとはなにか?」考えるきっかけになった。

嵐のコンサートをその輝きのまま、宝箱に収めたような作品。

私はきっと、その宝箱を何度も開けては、夢を見続けるだろう。